合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

その13 平成13年4月

 皆さんは「正勝吾勝」を何て読むかわかりますか。

 以前私が着ていたハンガリーの道場で造ったTシャツに「正勝吾勝」と云う文字が書いてありました。埼玉大学合気道部に指導に行った時に、3年生部員に何気なく、これ何て読むのかと聞いてみたところ、帰ってきた答えは「せいしょうごかつ」でした。私が違うというと、別の部員が「しょうしょうわかつ」ですかとの事。また明治大学体育会合気道部の3年部員に同じ質問をしてみたら、「せいしょうあがつ」と読みました。「あがつ」と正確に読んだのは、明治大学合気道部が年1回発行している機関誌の名前が「吾勝」だからあたりまえです。「正勝吾勝」の正確な読み方は「まさかつあがつ」です。

 私が本部道場の内弟子時代、昼間道場で書道の練習をしていると合気道創始者植芝盛平翁先生が来られ、筆を貸せといわれました。先生は「合気道」、「正勝吾勝」、「正勝吾勝勝速日」と書かれました。「勝速日」は何てよむのでしょうか?これは「かつはやひ」と読み、全部で「まさかつあがつかつはやひ」となります。

 この言葉の意味を植芝盛平伝から引用させていただきますと、「勝とうと気を張っては何も視えんのじゃ。愛をもってすべてをつつみ、気をもってすべてを流れるにまかすとき、はじめて自他一体の気、心,体の動きの世界が展開し、より悟り得た者がおのずから勝ちをおさめている。勝たずして勝つ−正(まさ)しく勝ち、吾に勝ち、しかもそれは一瞬の機のうちに速やかに勝つ」という意味になります。

 開祖植芝盛平先生は武道の達人だけではなく、宗教家でもありました。皆さんがよく街で見かける、「世界人類が平和でありますように」の標語を掲げる、白光信仰会の教祖五井昌久師をして「その人は神の化身だ」といわしめた宗教家としても超一流の方です。

 植芝盛平翁先生は指導されるとき、気の向くまま技を示され言葉で説明されます。翁先生が道場へ出て来られ説明される言葉は「円の動きのめぐりあわせが、合気道の技であります。技の動きが五体に感応して、おさまるのが円の魂であります。円は皆空で、皆空の中から生み出すのが心であります。みな空とは自由自在のことでであります。皆空に中心が生ずるとき気をうみだします。云々」こう説明されてもほとんど私には理解できませんでした。技それ自体の説明はされませんでした。

 冬の朝稽古の時、正座のまま30分以上話をされる時には、寒さと足の痺れで大変つらかったのを覚えています。内弟子は何時受身に呼び出されるか分かりませんので、常に緊張していなければなりませんでした。

 翁先生は世間で一流と言われている方々が面会に来られたり、翁先生をお呼びになったりします。私たち内弟子は先生の側でお世話をし、演武の時には受けをとります。

 1957、58年頃、柔道の達人といわれた三船久蔵十段と飯田橋の杉山三郎合気会理事宅で面会された時、お供で同行させて頂いた事を覚えています。柔道では「押さば引け、引かば押せ」という極意の言葉があるそうですが、三船先生は翁先生と会談後、「押さば引け、引かば回りながら入れ」といわれる様になられたと聞いております。

 また1960年の春、読売新聞社主で巨人軍育ての親である正力松太郎氏が、新宿の合気道本部道場にこられました。

 翁先生が我々内弟子相手に演武され、木剣を振りながら鋭く気合をかけられたとき、詰掛けたカメラマンのフラシュ球が大音響と共に割れ、居合わせた人々を驚かせたのを覚えております。私も翁先生の全身から発する気の鋭さに冷や汗がながれました。

 近頃翁先生の過去の厳しい修行と死を掛けた鍛錬や修練に裏打ちされた演武を、表面だけ真似をしている人たちが多くなっています。合気道小林道場で稽古される人達は、見た目の格好良さや、華やかさに目を奪われずに、基礎を大切にし、地道に合気道を修行してください。


このページの先頭へ