合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

その21 平成17年10月

私の合気道歴50周年の祝賀会が昨年10月の末に行われました。国内から450名、更に海外からも13カ国の人々が集まりお祝いをしていただきました。出席する皆様に何か記念になるお返しを、と考えました。そこで、色々悩んだすえ、私の体験した事を本にする事を思いつきました。

私を育ててくれた親兄弟の事、柔道仲間より合気道という武道を教わり、不世出と言われた合気道創始者植芝盛平翁先生に師事した事。翁先生亡き後は、町道場であった合気道を世界の合気道にまで普及された二代道主吉祥丸先生の御指導を受ける事ができた事などを書きました。また、まだ世に知られてない合気道を先輩、内弟子仲間と一心不乱に修行していた時代の話や、普及に全力を挙げた本部道場指導部員時代の話。安保闘争で学校の授業も無く、勉強の意欲と人生の目標を失った大学合気道部員の為に苦労して合気道小林道場を開設し学生達と真剣に稽古した事。それを見て近所の人達や知り合いが入門し、いつの間にか内弟子を養い、外国からの研修生も受け入れ、海外の指導と指導員の派遣など合気道小林道場が大きく発展していく苦労話やエピソードが、写真も含めて二百六ページの本にまとめました。それが「我が道 合気道 −合気道小林道場の軌跡−」です。

祝賀会が終わってしばらくすると、本を読んだ人達から手紙やはがきで、読後の感想や意見が届くようになりました。

本のはじめに「段々に 段をのれば 段々の 段は段々 険しかりけり」
「段々に 願いをかけて 段々の 段々高き 段にのぼらむ」の言葉をかきました。これは私の好きな言葉で、草地貞夫氏(元関東軍参謀)「段位思考」の中の言葉です。十年間ものシベリア抑留のあと帰国し、戦後の武道の発展、青少年の教育に努力された方です。草地氏に合った事がある会員からの手紙を受け取り、二年前に九十五才で亡くなったと聞きました。もしお会いできてお話しでも聞けたらと残念に思いました。

また、ある一部上場会社の最高顧問の方にお会いし、本を差し上げました。その方は、四十五年以上前に本部道場で一緒に稽古した仲間でした。その方からは、「自分の修行、道場の拡張、発展、後継者の育成、教育そして将来の布石」などは、ビジネスの世界と相通ずるものがあり、ビジネス書としても面白いとお褒めの言葉をいただきました。

本には、私が修行時代に出会った様々な分野の方も登場します。天風会の中村天風先生、西医学の西勝造先生、椎名町の名医吉田接骨医、元日本人の馬賊王小日向白朗氏、王貞治監督を世界一のホームラン王にした荒川博氏などです。禊ぎの道場一九会での修行も出てきます。本当に一流の方々の薫陶を受ける事が出来、良い時代に生きたと感謝しています。合気道の映画で高倉建氏を一週間指導した事も書いてあります。

余談ですが、合気道小林道場の会員の中に王貞治監督、高倉建氏の知人がおり、その人を通じて私の本をお渡しました。向こうも私の事を覚えていて下さり色紙にサインして贈呈して下さいました。

一番多かった意見は、今まで知らなかった合気道の歴史、また、小林道場の歴史がよく分かりました、との意見です。体育会系の大学生のエピソード、私の私生活でのエピソードなど、普段あまり話さない事が多く書かれており、合気道を学んでない方や友人が読んでも明るい気持ちになり一つの事に打ち込む大切さを感じたといわれました。

本の中には恥ずかしながら家族の事も書いてあります。家内との夫婦喧嘩も小林道場を語る上で、重要な歴史の一部です。道場をここまで発展させた原動力は、家内のおかげです。

副道場長である小林弘明が大学生時代、日本青年遺骨収集団の一員として第二次世界大戦の時に南方で戦死した兵士の遺骨収集のボランテアに参加していた事も書いてあります。本を読んだ方の中で、父を南方で亡くした方が何名かおられて、感謝と感激の手紙も受け取りました。ソロモン諸島国ガダルカナル島での遺骨収集の時に合気道小林道場を知っている人と偶然出会い、それが切っ掛けで青年海外協力隊合気道隊員として活躍したのが現在につながっています。

もし、「我が道合気道 −合気道小林道場の軌跡−」をまだ読んでいない方は、ぜひ事務局にお申し込み下さい。そして、皆様の感想をぜひお送り下さい。よろしくお願いします。


このページの先頭へ