合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

その2 平成7年10月

 毎年秋には小林道場傘下の各団体が、今まで修行した成果の発表と会員相互の連帯、親睦そして合気道普及のため、演武会が開催されます。しかしこの様な演武会の形式になるまで色々な変遷がありました。

 戦前は合気道創始者植芝盛平翁先生が一人で説明演武をされるのが普通だったそうです。現道主植芝吉祥丸先生が1955年6月に合気道の普及発展のため、日本橋の高島屋の屋上で、本部の師範と演武された形式が演武会の原型になったと思います。私は当時まだ入門したばかりでしたので見学させて頂いたのを覚えています。1962年に新宿の山野ホールで第一回の全日本演武会が行われました。この時から一般の会員も出場出来るようになりました。

 第二回は翌年有楽町の朝日ホールで行われました。朝日新聞社が大体適に取り上げたためと当時まだ合気道は珍しかったために、多数の見学者が詰めかけました。会場が超満員になり、会場に入りきれない人が多数でました。大学の合気道部員に退場してもらい、その空いた席に見学者を入れ演武会を行いました。それでも入場出来ない人が多数並んでいたそうです。

 第三回目から日比谷公会堂になり地方の師範、会員も積極的に呼ぶようになりました。しかし会場に植芝盛平翁先生が早く来られますと自分が演武されてしまいます。翁先生の後からは他の人達は演武することが出来ません。内弟子の私達は道場の時計を全部遅らせたり、車を遠回りしたりして翁先生が会場に到着される時間の調節に苦労しました。1969年4月に翁先生が入神されました。その追悼演武会が日本武道館で行われて以来、全日本の演武会は毎年日本武道館で行われるようになりました。今年で三十三回を数え出場者も5,000名を越えるまでに合気道は日本はもとより全世界に普及、発展しています。私の記憶が正しければ第一回演武会より三十三回の今年の大会まで全演武会に参加させて頂いております。まことに名誉な事と考えております。

 演武会以上に会員の人達の関心があるのは昇級、昇段です。合気道小林道場では毎年三回(子供クラスは二回)行っています。五級以上は新宿の本部道場に集まり審査を行います。八〜六級は各ブロックを指導されている師範の下で行われます。審査規定は毎年改定されます。改訂されると毎回難しくなったと言われますがそんなことはありません。審査技から外すとその技を稽古する回数が少なくなります。どんな技でも一定のレベルを保つためです。

 本部道場で審査制度が出来たのは1960年頃です。それまでは級も段も年一回の鏡開きの日に道主より発表されるだけでした。当時の本部道場での昇級、昇段審査は受験者全員に本部道場の内弟子が交代で、受験者の相手をし、受身をとりました。内弟子の方が受験者より体力や技の実力がありましたので、受けの取り方一つで合格、不合格が決まるような場合もありました。そこで審査前になりますと受験者が、受けをとる内弟子に食事を御馳走してくれる人も居ました。

 そのような審査制度に弊害も出、また受験者も増え内弟子全員が出ても対処出来なくなり、2〜3年後、現在の様な受験者同士の審査になりました。私は審査制度が出来る前に昇段していましたので審査を経験した事はありません。

 合気道小林道場の審査も道場が始まった頃は各道場で審査をしていました。時が経つに従って、各級、段のレベルの道場格差や指導されている先生により、技が違ってきたりしました。これらを是正するために合気道小林道場の傘下全道場を本部道場に集めて一斉に審査する様になりました。一回の審査で200〜300名を本部道場の二、三階、四階の道場に分けて審査します。受験者も大変でしょうが審査する先生方も緊張します。今年も11月26日にあります。受験書の皆さん是非全員合格する様頑張って下さい。


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