合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

その9 平成11年4月

 合気道道主・植芝吉祥丸先生が亡くなられました。私が最後にお会いしたのは、昨年11月19日夕方でした。道主は本部道場近くの医療センターにすでに入院しておられましたが、植芝守央道場長に無理にお願いし、家内と一緒にお見舞いに伺いました。身体に点滴の管を何本か通されておりましたが、お話になる声も張りがあり、食事もされていると話されておりました。

 道主には小林道場の道場開きから、十周年、二十周年に来ていただき演武をしていただきました。是非三十周年にも元気になられお越し下さいと申しあげましたところ、「小林お前はいいな、何時も元気で、今はこんな管をとうした身体だが早く直して行くよ」と答えて下さいました。

 帰り間際にはベッドから起き上がり私たちを見送ろうとして下さいました。家内が「どうぞ寝たままでいて下さい。それから是非握手して下さい。」といいました。道主は握手して下さいました。私も握手をしていただきました。道主の太い手でさんざん鍛えられましたが、これが道主の手に触れた最後になります。家内は合気道の稽古をしておりませんが、道主とは何回もお会いしております。私達の結婚式にも来ていただきました。

 また、1967年に旧本部道場が現在の道場に建て替えられましたが、その時に私の自宅に本部道場の荷物を預かりました。私の家は店舗用住宅で、店舗部分が空いていました。(後にその店舗部分を利用して小平道場を開設しました。)朝六時半頃、道主が首に手ぬぐいを巻きトラックで何回も荷物を運び込んだりしました。暑かった時期なので私の家の井戸で顔を洗い、汗を拭うのが楽しみだった様です。家内がお茶を出しても冷たい井戸水の方が美味しいと井戸水を飲まれていました。

 この時の世間話で家内の性格を見抜かれておられたのでしょう。家内はある日、私に本部指導員としてもらうお金では子供が居るので生活出来ない。あなたにとって植芝先生は師匠だから何もいえないでしょうけど私は合気道を習って無いから何でも言える。生活費を上げてもらう様に旗を持って鉢巻きして本部に座り込むからといいだしました。

 今から32、3年前それほど合気道がまだ普及されてなく、本部の建て替えや何かで経済的に一番大変な時期だったおもいます。私が何かの折り、道主にこの事を話すと、道主も苦笑いされ「小林君の細君は怖いからな」といわれ翌月から千円(33年前の千円で現在の貨幣価値とは違います)上げて下さいました。

 合気道小林道場の道場開きや演武会で何回か道主をお招きしたことはすでに書きましたが、何時もお祝いを持って来て下さいます。しかし、受付にはそのお祝いを出さずに、家内を探し出して直接渡して下さいました。本当に人間味の有る方でした。

 ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。


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