合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

平成24年4月

小林道場新聞五十号を迎え

昭和四十四年四月に都下小平市の自宅に合気道小平道場を開きました。道場には安保闘争で社会的な混乱のためにロックアウトされた大学合気道部員達が、何かを求めるかの様に稽古に集まってきました。私は合気道が好きで「和と統一」「正勝吾勝」など武道でも「人と争わない精神」や「稽古法」が心身鍛錬に良いものと確信していました。当時、合気道はまだ世間に知られていませんでした。私が学生達と道場で熱心に稽古している姿を見て、近所の人達が子供に稽古させたい、自分自身が合気道を稽古したいという申し出が多く出てきました。昭和四十七年十一月に二番目の所沢道場を開くと共に「一人でも多くの人に合気道を」のモットーを掲げ、本部道場指導部員の職を辞し、合気道小林道場として合気道の普及に専念しだしました。

時代の要請を受けた様に小林道場は三多摩、埼玉、神奈川、千葉県に直轄や傘下道場が増え、また海外にも交流道場が多くできる様になりました。昭和六十二年には日本武道協議会より合気道の個人道場として初めて優良団体として表彰されました。この名誉ある表彰を機に、数多くある道場間や会員同志の情報交換の必要を強く感じ、道場新聞を発行する事にしました。当時小林道場の指導部員でした五十嵐和男師範を責任者として合気道小林道場新聞が昭和六十二年四月に第一号が発行されました。

道場新聞創刊に当たり「合気道小林道場」の表題を当時九十二歳の父に書いてもらいました。私が子供の頃父は米屋をしていました。その時に納入した品々を大福帳に筆で記入していて達筆だったのを覚えていたからです。父は「合気道小林道場」と書いた題字の上に細い線まで引いてくれていました。九十二歳でよくこの様な細い線を引けたと感心しました。線には手書きの良さのむらが有り、これが非常に自然で味が感じられました。この題字を書いてから間もなく父は亡くなりました。私にとってこの新聞の題字は父の遺品です。この新聞の題字を見ると何時も父の事を思い出します。

昭和六十二年四月の創刊号の記事を見てみますと、社会的には植芝吉祥丸二代道主が藍綬褒章を受章し合気道が社会的に高く評価された事が書かれています。小林道場は日本武道協議会から、合気道普及の功績が認められて優良団体として表彰された記事が写真入りで掲載されています。海外指導はフインランド、スウェーデン、ドイツに指導員派遣、そして台湾合宿には二十二名の参加を得て、呉金龍師範の龍山会と交流稽古、演武会を開催した事が書かれています。

「道場通信」として現在の弘明道場長が大学を一年休学してカナダのカルガリーとアメリカのワシントンDCに語学研修と合気道の稽古を行う留学に旅立ったという記事もあります。「編集後記」には小平道場(現府中道場親睦会長)石村国興氏の強力な要請と絶大なる協力により第一号の発行を見ることになりましたと書かれています。今更ながら色々な人々の協力により新聞が発行できたことを心より感謝しています。

時の経つのは早いもので道場新聞も今号で五十号になります。この二十五年間は世界規模で激変の時代でした。合気道小林道場にとっても大きな変革の時期でした。

私も昨年の九月二十日で後期高齢者の仲間入りをしました。これを機会に今年一月より合気道小林道場道場長を息子弘明に譲りました。そして、私は組織全体を統括する「総師範」となりました。

今後合気道小林道場の道場行事の全ての決定は小林弘明道場長が責任を持ってとり行います。弘明新道場長は平成八年の小林道場三十周年より副道場長として道場運営を行ってきました。海外での指導経験も豊富で語学も堪能です。指導部員や会員の信頼も得ており、今後も弘明道場長を中心に合気道小林道場の和と輪を益々広げて行ってほしいと思います。

一つお願いしたいのは、私は決して引退したわけではありません。後期高齢者の仲間入りをしましたが、現在もケガ、病気もせず元気です。これからも元気と笑顔で皆さんと楽しく稽古しながら国内外の各道場を積極的に回りたいと考えています。今後も合気道小林道場の活動に御理解をいただき皆様のご支援ご協力を心よりお願い申し上げます。


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