合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

平成21年4月

白滝村訪問

先日合気道ゆかりの地である北海道白滝村に行って来ました。今は市町村合併で町の名前は遠軽町になり、白滝村の名前が町名としては出なくなっています。村の人や白滝村合気道会の人達はこの事で頭を悩ませています。

合気道の歴史を知らない人は「何で合気道が北海道の白滝村と関係あるの?」と疑問に思うかもしれません。実は植芝盛平翁先生は北海道で大東流合気柔術の武田惣角師範に出会いました。そして武田惣角師範を白滝村に呼び、家屋を提供し炊事・洗濯・身の回りの世話をしながら教えを受けた所なのです。この大東流の技を母体に刻苦研鑽し、更に精神的な修業をして植芝流合気道を創設した重要な修業時代を過ごした所なのです。合気道の歴史を考えるときに白滝村は見過ごせない場所なのです。

植芝盛平先生は和歌山県田辺市で明治16年(1883年)に生まれました。幼少の頃より頭脳明晰でしたが身体が小さく病弱でした。そのため、海で泳いだり山を走り回ったりして身体を鍛え、柔術・柔道・剣術も学びました。軍隊に入る頃には身長は155cm、体重75キロでしたが、何でも一番早くできるので「兵隊の神様」といわれたそうです。

除隊後植芝先生は自分の生き方を探していました。当時は富国強兵、食料増産が国策です。当時未開の地であった北海道開拓を明治政府が奨励していました。植芝先生は三十歳前後でしたが進取の気性に富んでおり、田辺の五十四戸八十名の人達を連れ、雪深い北海道紋別郡白滝村に移住しました。開墾は困難を極めましたが、不屈の努力により農業、林業を起し何年か後には「白滝王」といわれるまでに村を発展させました。

苦難の開墾が軌道にのり少しゆとりが出来ると、仕事の傍ら武道の世界にのめり込んでいきました。そして大東流の名人武田惣角師範に出会い白滝村に招き八年間教えを受けました。その後、父危篤の知らせで一切の土地や家屋を武田惣角師範に譲り和歌山県に帰郷しました。和歌山県田辺市に帰る汽車の中で大本教の出口王三郎師に出会い感銘を受け京都の綾部に移りすみました。出口王三郎師の元では植芝塾を開き武道を教えるようになりました。この時代に大東流柔術から植芝流柔術に、そして合気道と大きく転換していきました。上京して指導すると、人々からは「技、神に達す」といわれるほどになったそうです。

この頃柔道の嘉納冶五郎師範が植芝翁先生の演武を見て「これが理想とする柔道だ」と、優秀な弟子を五人修業のために植芝道場に送って来たのです。その中の一人、望月稔師範は戦後始めてフランスに合気道を普及された方です。先生は後に静岡県で養正館武道を興して独立されていました。私と一緒に明治大学合気道部を創った深津昌雄氏の叔父ということもあり私は本部道場の内弟子時代に親しくさせていただきました。

望月稔師範は新宿の植芝道場に武田惣角師範が尋ねて来た時の話を私にしてくれました。常に仕込み杖を離さず、お茶でさえ毒味させたと言います。他人に対して隙を見せず技の武道家としては優れた方だったそうです。望月師範の話ではこの頃になりますと植芝先生は「武は愛なり」「万有愛護の精神」「合気道は相手を技で倒すだけでなく、慈しみ育てていくのだ」と言われていましたので、避けてなかなかお会いにならなかったそうです。

戦後、占領軍が武道禁止令をだし武道は苦難の道を歩みましたが、昭和二十八年には禁止令が解かれ、戦後の混乱から日本も立ち直り昭和三十年頃から日本経済も発展し出しました。その頃に私は本部道場に入門し植芝盛平翁先生のお世話や二代道主植芝吉祥丸先生の元で修業し、合気道の発展に先生と供に協力させていただきました。

試合がない武道である合気道は勝ち負けを争いません。年齢層も巾が広く、性別の差なく一緒に稽古ができます。「武は愛なり」「万有愛護の精神」「合気道は相手を技で倒すだけでなく、慈しみ育てていくのだ」という合気道の精神が国内外各地で道場を開いた指導者の血の出るような努力で一気に広がりました。現在では世界百ヶ国近い国々で合気道は稽古されています。

合気道ゆかりの聖地は4ヶ所有ります。植芝盛平翁先生生誕の地である和歌山県田辺市と北海道紋別郡白滝村、東京新宿の本部道場、そして合気神社が有り、戦中戦後に武農一致として翁先生が住まわれた茨城県岩間(現在笠間市)です。白滝村以外は合気道修行者が多く訪ねています。

しかし北海道白滝村の事は話には聞いていましたが長い間合気道を専門として修業していた私でも初めて訪れました。人口約1200人で山に囲まれた自然はたくさん有りますが過疎の町です。合気道を愛する白滝村の有志が必死に史跡を守っているのを痛切に感じました。村営の立派な道場があり稽古もできます。全国の合気道家が協力して、白滝村の合気道を励まし、援助して貴重な歴史遺産を守る人々を助けて行きたいと考えています。その時は会員諸氏のご協力ご支援をお願いいたします。


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