合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

平成24年10月

オリンピックの夏に思う

今年の夏はロンドンオリンピックが行われました。日本は三十八個のメダルを取り、過去最多数を更新したそうです。八月二十日には銀座でメダリスト七十一名が凱旋パレードを行いました。見物客も五十万人集まり盛況でした。東京オリンピック誘致のために世論を盛り上げる手段との声もありますが、地震、津波、原発事故、領土問題、不景気、消費税増税など暗いニュースが多い時に、日本全体を沸かす明るい話題はいくら有っても良いと思います。

私は合気道をする前には柔道を習っていました。小学五年生頃から柔道を稽古していて、明治大学に入学した時には柔道部に入ろうと思っていました。入部していれば、東京オリンピックの無差別級神永昭夫氏と大学で同期になります。大学入学と同時に始めた合気道に魅せられ、柔道部入部を断念した経緯が有ります。この思い入れもあり少し柔道の事について書かせていただきます。

今回のオリンピックで柔道の成績は女性金一個、男性が金ゼロでしたので、大きな批判を受けています。しかし現実には男子銀二個、銅二個、女子金一個、銀一個、銅一個で、柔道だけ見ても総計七個もメダルを獲得しているのです。他の競技と比べてみれば誇るべきメダル獲得数です。柔道連盟の監督、コーチ等は「日本の柔道」との観念が強く、柔道の日本選手は優勝して金メダルを取って当たり前、銀、銅はメダルの内に入らないという感覚を植えこまれ過ぎています。

テレビに出てくる柔道選手は金メダルを取った女性一人に集中しています。銀、銅メダルを獲得した人は六名いますがマスコミに顔を見せる事はほとんどありません。たまに出てくる選手は下を向いて「自分の組手になれませんでした。体力、力負けです。」の言葉ばかりです。北京オリンピック以後、日本に有利な「組み合って、一本を取る柔道」のルールに改正したといわれていました。

日本選手の目標は華麗なる投げ技での一本です。他国の選手は僅差での優勢勝ち、寝技での勝利に変えていった様です。日本の選手はこの対策に翻弄され、体力の有る海外選手に苦戦を強いられました。また、メダルを取るという執念にも負けたと思います。しかし日本柔道は金、銀、銅のメダル七個も獲得しています。誇っても良いと思います。他の競技では銀メダル、銅メダルを取得した場合、誇らしげにメダルを下げてマスコミのインタビューに堂々と胸を張って答えています。

同じ格闘技でも今回金メダルに輝いた男女のレスリング、ボクシング選手達は体力の面でも技の面でも海外の選手に一切負けていませんでした。ナデシコジャパンは残念ながら決勝で負けて二位になりました。試合終了後は泣いていましたが、表彰台に上がるときは肩を組んで笑顔で出てきて、会場の拍手をもらっていました。この様に柔道も結果は結果として謙虚に受け止めテレビ、新聞、雑誌などで取り上げられたら明るく、誇らしく振る舞えば、次の時代を背負う若い人達の刺激となり、頑張る人も多く出てくる事でしょう。次のオリンピックでは、ぜひ頑張ってもらいたいと思います。

さて、私は大学生になってから合気道一筋の道に歩み出しました。当時の本部道場に稽古に来ていた明大生を集めて、三年生の時に合気道部を創立しました。卒業後は合気道本部道場指導部員になり、自身の修業と合気道の普及に協力しました。昭和四十四年四月には自宅に道場を開設しました。時の経つのは早いもの、合気道を初めて今年で五十七年、小林道場は四十四年になります。

今年から道場長の役を息子弘明に譲り、小林道場の道場運営、指導方針は指導部に移りました。各大学の合気道部の指導も、各大学の後輩に指導を任せ、海外各国傘下道場を合わせた小林道場グループの「総師範」という名称をいただきました。

戦前の合気道は特別な人しか稽古できませんでしたが、戦後一般に開放しました。私は早い時期に入門し、開祖植芝盛平翁先生の指導を直接受けました。私は幸せにも道場で指導を受けたばかりでなく、内弟子として日常生活の面も世話させていただいた中の一人です。その後、二代道主植芝吉祥丸先生に師事しました。

現在、合気道は三代道主植芝守央先生に引き継がれています。吉祥丸先生の基本方針を守られ、より一層の合気道発展に貢献されています。今年四月より合気会は、正式名称が財団法人合気会から公益財団法人合気会に変わりました。公益財団法人となり、数多く存在する合気道道場、稽古場所の正確な把握と、都道府県単位の組織化に力を注いで居られます。また中学での武道正課に合気道が如何に対処するか努力されています。

九月二十三日には合気道本部道場創立八十周年の記念祝賀会が、京王プラザホテルで、世界中の合気道家が参加の下盛大に開催されました。私と弘明道場長も出席させていただきました。普段会えない国内外の合気道指導者や仲間と話ができ、楽しい一時をすごしました。

振り返って見ますと、私は知名度ゼロの合気道がどの様に広がって行ったかを見てきました。小林道場創設以来、合気道の普及に努力してきました。小林道場グループが大きな団体となり、合気道の発展に多少の協力ができたと自負しています。良い時代を過ごしたと実感しています。私が経験し学んだ事が、今後皆さんの合気道修行に少しでも役立つ様にと思っています。今後も合気道小林道場のモットーである「一人でも多くの人に合気道を」を忘れずに精進して参ります。皆様の御協力を今後とも宜しくお願い致します。


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