合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

26 平成20年4月

合気道小林道場は一九六九年四月の発足ですので創立四十年を迎えます。

これを記念する行事として、九月二十三日秋分の日に埼玉県所沢市にある市民武道館で合気道道主植芝守央先生をお迎えし、記念講習会を行います。その日の夜には、東京九段のホテルで記念祝賀会を行います。その二日後、二十五〜二十六日には、合気道創始者である植芝盛平翁先生の生まれ故郷、和歌山県田辺市を訪ねる旅があり、十月に入っての最初の週末には、千葉県岩井海岸での四十周年記念合宿、と盛りだくさんの行事を予定しております。

私が合気道を始めたのは一九五五年四月で、大学入学と同時です。終戦後十年経ち、日本全体が戦後の混乱から少し脱し、アメリカに追いつけ追い越せと寝食を忘れて働いた時代でした。世間の人々は今の様にスポーツや習い事に目を向けるゆとりがありませんでした。当時、合気道は世間に知られて無く新宿の本部道場以外ほとんど稽古する場所も無かった状態でした。

私は幸いにも早い機会に合気道に出会いましたので、創始者である植芝盛平翁先生と、合気道を世間に広めた二代道主植芝吉祥丸先生に直接身近に指導を受けられました。特に植芝盛平翁先生は武道家として今後絶対にでないような天才的な武道家で宗教家としても修行を積まれた方でした。

大学卒業後、合気道本部道場の指導部員なりました。天意無垢で、気の赴くままに行動された植芝盛平翁先生の下での稽古と修行は、昔ながらの修行法で一切の細かな指導は無く、稽古や日常生活の中での行動から自分で会得していく教えかたでした。また内弟子として翁先生の身の回りのお世話は、先生の意を察し事前に行動しなければ「この子は気がきかん」と怒られました。先輩達に聞いても「その内分かるよ」の一言です。怒られながら自分で考え行動しなければなりません。それが耐えられない人は内弟子を辞めていきました。この時の修行は、自分が道場を開設した時にどんなに役だったかは計り知れません。

二代道主植芝吉祥丸先生は世間に知られてない合気道を如何に普及していくか大変な苦労と努力をされました。私は身近な指導部員として共に過ごし、武道としての合気道の普及、道場の経営、そして一番大切な稽古に来る人達に対する接し方を学ばせていただきました。私の武道家としての全ては両先生の教えで確立されました。本当に心より感謝しております。

一九六九年四月に、親、兄弟、家族そして本部指導部員時代の門弟の方々の協力で小平の自宅に道場を開設する事ができました。時代は安保闘争で騒然としていて大学はロックアウトになっていました。目的を見失っていた大学合気道部員を集めて稽古を始めました。それが近所の人達の注目を集め、「子供に稽古させたい」「私でも稽古できますか」「商売人なので夜稽古出来ないので朝稽古してくれないか」と時と共に稽古する人が増えていきました。

大学合気道部OBや稽古に来ている人の中に合気道に打ち込む為に仕事を辞め住み込む人も出てきました。それにともない稽古する場所や専門の道場も増え、十年、二十年と経つ内に、三多摩、埼玉、神奈川、千葉と広がり、海外にも積極的に合気道の輪を広げました。三十周年目の群馬県伊香保で行われた大会には海外だけでも十六カ国から百五十名の人達が参加し、総勢六百五十名の大会になりました。

この間、合気道小林道場は日本武道協議会から優良団体としての表彰を受け、私個人には合気道を普及した功績で武道功労彰をいただきました。誠に名誉な事と感激しております。これも本部道場指導部時代に盛平翁先生、吉祥丸先生に厳しく指導受けたお蔭だと心より感謝しています。そして植芝盛平翁先生が創始された「和と愛と統一の武道」である合気道の良さが、現代の乱れた世界の中に於いて心の拠り所の一つとして世界中の人達の共感を呼んだ結果だと考えております。

この四十周年の記念行事には、直轄・傘下の道場、協力団体、そして海外各国の修行者の協力を得て、一人でも多くの人に参加していただき盛大に行いたいと考えています。皆様宜しくご協力をお願い申し上げます。


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