合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

その8 平成10年10月

 今年の7月20日より8月5日まで行われたブラジルのサンパウロとリオデジャネイロでの講習会の時、ブラジルの武道雑誌から質問を受けました。

1. 先生は合気道創始者植芝盛平翁先生の内弟子を勤められたそうですが翁先生との生活について一言お願いします。

 翁先生は私の入門当時(1955年)茨城県岩間に居られ、特別な用か、気が向くと本部道場に上京されました。

 翁先生のお世話は、一,演武会や特別稽古のお供、二,宗教関係のお供、三,滞在中の身の回りのお世話です。翁先生は朝晩必ず神前に向かい祝詞をお上げになります。神棚の掃除、お供え物の準備と慣れるまで大変でした。普段の稽古は突然道場に来られ指導されます。

 演武会の時は大変でした。翁先生が演武場に現れるとプログラムや時間に関係なく演武されます。翁先生が演武されると以後誰も演武出来ません。翁先生が演武される時間に会場に到着させる役目が内弟子の仕事です。朝起きたときから道場の時計全部を遅らせたり、進ませたりして調節します。朝御飯を済ませもう行く時間だと言い出される翁先生を午後三時頃まで引き留める苦労はなみたいていでは有りません。身の回りのお世話は神経を使います。翁先生は気分で行動します。墨を摺れ言われて、摺っているとトイレから帰ってきた先生に、お前なにをしている。よけいな事をするななど怒られます。その時の直感で行動されますので大変でした。いくら怒られても先生は三分もすると忘れて下さるので有り難かったです。一生懸命お世話していると先生の癖が分かってきます。この時はお茶が欲しい、この時は外出、等先回りしてお世話出来る様に成ってきます。しかし大変疲れました。本部道場で指導したり、自分の道場を開設したときに人の気持ちを知る上で大変役に立ちました。

2. 翁先生の稽古はどの様でしたか

 先生の教え方は演武をして見せ、技の説明は一切有りません。技や捌きを神前の払いや神楽舞,古事記又宗教の話しに結び付け話されるので理解出来ませんでした。技は入り身投げ、小手返し、四方投げ、一教〜四教など座技、立技など基本技が主で気分で呼吸投げをたまに演武されました。

 剣、杖は内弟子相手に技の理合いを教える時によく使われました。翁先生は今ではビデオでしか演武を見られません。よく演武でふれずに投げている様に見えますが気型を見せておられるのです。倒れないと受け身の中心に力がくる投げ方をされ、受け身を取る我々は畳にめり込む様な衝撃を感じました。また先生に逆らう気持ちが起きず、自然に受け身を取らざるを得ない様に気持ちにさせられました。

 我々が立ち技など稽古していると機嫌が悪く、座技をしていると喜ばれます。もっと足腰を鍛えなさいと言う教えだったとおもいます。

3. 翁先生に教わったことを幾つか教えて下さい

 技は勿論ですが当時若かった私にとって,武道家としていかに生き,学ぶかを教わりました。合気道は武道だから厳しく鍛錬しなければいけない。型だけ学んでも進歩が止まる。

 精神的な修行の大切さを道場や居間の神前で祝詞を挙げられたり、大本教の教理などを立ち振る舞いの基準にされておられ,内弟子達も自然に身に付く様指導されました。しかし、弟子達に自分の信じている宗教を一切強制されませんでした。我々若い内弟子達の人格を認めてくださっての事と思います。

 自分が食べて美味しいお菓子などはどんなに少なくとも、皆なで食べる為分けて下さいました。自分一人よい思いをせず喜びは分かち合えと言う教えだと思います。翁先生がよく云われた万有愛護の精神を身近な事で示して下さいました。


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