合気道小林道場 Aikido Kobayashi Dojo

その22 平成18年4月

フィンランド合気会創立三十五周年記念講習会と演武会が昨年九月十六日から十九日まで、首都ヘルシンキで開催されました。講師として、植芝守央道主と私が招かれました。

フィンランドの合気道を指導している先生は大勢いますが、この記念行事に数多くの先生から私が選ばれたのは、合気道小林道場が三十五年前のフィンランド合気会の創立から関与し、私たちの指導援助がフィンランドに於ける合気道発展の原動力になったからです。

日本人がフィンランドと聞くと森と泉、サウナ、ムーミンそしてサンタクロースの国を思い浮かべていたと思います。私が最初にフィンランドに行った頃、国は非常に貧しかったと記憶しています。他の北欧諸国にしかも北欧五ヶ国の中でフィンランド語だけはアジア系の言語で、他の国より一段低く見られていました。当時は出稼ぎに行く人達も多く、俗に言う三Kの仕事はフィンランド人がしていました。スウェーデンの属国みたいで今でも道路、駅の標識はフィンランド語とスウェーデン語で書かれています。

エストニアの小咄にファインランドを小馬鹿にした話があります。ファインランドとエストニアはバルト海を隔てて、人種的にも文化的にも同じです。その話とは、彼らは中央アジアから移住してきて、バルト海を船で渡ったがあまりの寒さで頭の良い人達は又船で帰って来たが、馬鹿な人達は船を燃やして暖をとった。それがフィンランド人だそうです。

三十年前に指導に行った時、合気道を稽古する人達は若い人が中心でした。

稽古は黙々と熱心にします。稽古後、私は招待された先生ですので少し高級なレストランで食事します。しかし稽古している多くの会員達は貧しく食事の時、私と同じレストランで一緒に食事ない人達もたくさんいました。「私達には高すぎるので、先生だけこのレストランで食事して下さい」といわれた事が何回もあります。私一人で食事してもつまらないので、皆と同じレストランでもちろん食べましたが・・。

稽古の後、道着を洗濯してもらいます。翌日洗濯した稽古着を着た時に、道着の襟や脇の下が半乾きでしたので文句を言いました。若い会員の一人は「すいません私は乾燥機を持っていません。ヘヤードライヤーで徹夜をして乾かしました。これが限界です」といわれ私は深く反省したことを今でも覚えています。この様な優秀でやる気のある若者を数多く合気道小林道場に住み込み修行をさせました。今では合気道の立派な指導者になっています。現在ではフィンランド全土の大きな街には必ず合気道の道場があるまでに発展しています。

三十五周年の講習会と演武大会には、フィンランドの会員はもとより、スウェーデン、ロシア、エストニア、ラトビア、ノルウエー、ポーランド、ベルギーから、そして日本からは合気道小林道場傘下の会員四名が参加し、約三百五十名が集まる盛大な大会になりました。

演武会、祝賀会には近藤茂夫フィンランド国特命全権大使と長崎輝章公使も出席されました。近藤全権大使は大学時代合気道部に所属体験がり、特に演武会を見学していた子供達が、全然騒がず静かに見学していたのに非常に感激されていました。私がフィンランドでも大勢の子供達が合気道をしている話をすると、次回来られたときには是非大使館に連絡下さい。食事をしながらもっと詳しい話を聞きたいと招待されました。

フィンランドの経済が発展したのはこの十五年です。世界最大の携帯電話会社であるノキアは特に有名です。福祉と青少年の教育に熱心に地道に取り組んで来た結果が一気に花咲いた感じです。

最近の話題は経済協力機構(OECD)の国際学力調査で読解力、科学的応用力、数学的応用力そして問題解決力で一位になりました。興味深いのは、フィンランドの総授業時間は調査対象国の中で最短国の一つです。小学校の一クラスの定員は二十名で中学・高校は十六名です。図書館は日本のコンビニほどもあり、子供達の読書量は世界一だそうです。ちなみに日本は読解力十四位、数学的応用力は六位でした。

これを見ても青少年の教育の大切さを感じさせます。私達は合気道という日本の伝統の武道を通して自分自身の修行と向上を図るだけではなく、青少年の心身の鍛錬、向上を心がけて行きたいと思っています。子供クラス指導の充実と人数を増やす努力をし、合気道という日本伝統武道の一つを通じて優秀な人材を育てる基礎的な面を築いていきたいと考えています。


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